大学編入してそろそろ一年が経つ話
編入前の自分
一年を振り返る前に、高専時代の自分を思い出してみよう。
どんな感じだったであろうか。
思い出した順番で列挙していく。
資格
まずは資格だろうか。高専時代に取得していたのは確か、以下の資格だ。
TOEIC -> 500
基本情報技術者試験 -> 合格
エックス線作業技術主任者 -> 合格
以上である。シンプルisベストって感じだ。
エックス線は単位振替のためである。
勉強
まあテストができればいいと思っていた。
そんな程度。
自主的に学ぼうとする意欲は特にない。
バイト
個別指導塾で1年半バイトをしたことになる。
そのままファミレスに直行して、朝の5時まで語りあったのはいい思い出。
進路について
大学院には行こう、と思っていた。
そんな程度。
プログラミング
授業以外にやることはなかった。
趣味
ラブライブ!にドハマりしたが、イベントに行く勇気はなかった。
それでも5thの水戸LVには行った。
斜め前の女の子につられてLove wing bellで泣いたのはいい思い出(?)。
この時から迷わず真姫推しであったが、中の人への興味はほとんどなかった。
ロックフェスもROCK IN JAPAN Fes.とCOUNT DOWN JAPANに一度行ったぐらい。
ワンマンは水戸ライトハウスであったWHITE ASHぐらいか?
編入後
さて、編入後はどうなっただろうか。
勉強(から学習へのシフト)
春学期はなんとなくであった。
しかし、秋学期にはある教授(ホントにすごい人)に名前を覚えてもらい、いろいろと世間話(という名の進路相談)をする機会があった。
その中で、人生の目標なるものが明確になった。今は目標を達成するために勉強するという意識に変わった気がする。
あとは高専時代の塾講師の経験から教育に興味を持ち、自身の専攻に追加して教職課程を学ぶことにした。
理工学部用の教職科目は遅い時間に開講されることと無理矢理2年で単位を取り切るという計画であるため、秋学期は1限(8:50スタート) ~ 6限(19:25終了)まで全て講義が入っていたり、1,2,3,5,7限(20:55分終了)だったり無茶をした。
週1~3は課題で徹夜し幾度と無く体調を崩したが、本気で教職を切ろうという気持ちにはならなかった。
人間やってやれないことはない。
まさに「勉めを強いられている」状態から「学び習う」状態にシフトした気がする。
バイト
同じ系列の個別指導塾に再び務め、さらに1年バイトをすることになった。友達はできなかった。未だに塾長以外とはまともに話せない。
(注:生徒とは話せます。)
進路について
大学院にいくということは変わらなかった。
理由が「なんとなく」から「新しい技術を自分で作り上げてみたいから、将来教職に付くときに先端の話をたくさんしてあげて情報処理の世界・数学(の応用)の世界に興味を持つ子を増やしたいと思ったから、(某教授のように)世界のトップを切り開きながらもビジネスの世界にも殴りこみたいから」という気持ちになった。
今の目標は「教育にWebの技術を組み合わせたサービスをリリースし、楽しく学ぶ・目標を持って学ぶ環境を作りあげる」こと。
プログラミング
某スタートアップで、インターンを始めた。
エンジニアチームでしたが、最近はそれ以外のことも少しだけ任せてくれるようになった。
「PHP? HTML5? CSS3? なにそれオイシイの?」からのスタートであるため、未だに知らないことばかりだが、楽しい。
SEOを意識した文を書いたり、動画を加工して販促動画も作ったりしてる。最近は家帰ったらずっとこれ。
趣味
μ'sをひたすら追っかけ、幕張ファンミ・アニサマに行った。
そして、現在はくすサポ(楠田亜衣奈さんのファンクラブ会員)である。
LiSAにもドハマりし、めちゃくちゃライブに行った。
ワンマンだけでなく、アニサマ・ロックフェス・学園祭ツアーも行きまくった。
未だにLauncherツアーの豊洲PIT追加講演は忘れられない。
指定席で頭振るのもいいが、オールスタンディングは最高だぜ!!
マジ生きがい。
ロックフェスはROCK IN JAPAN Fes.とTREASURE05X、COUNT DOWN JAPANに行った。
全てにLiSAがいる。
そういうことだ。